私は日本近代史が好きだ。とりわけ日本海軍の艦艇が好きな人間だが、最近気になっているのは海軍ではなく海運というか、日本の貨客船文化だ。
現在は航空機を使って外国へと行くのが一般的になっているが、航空機なんぞなかった昔は船で外国へ行くのが普通だった。今こそはクルーズ船というものがあるが、あれは船に乗ること自体が楽しみの一つであり、主目的は娯楽的旅行である。船に乗り、世界をぐるぐる回って船に乗り国家へ、港へ、家へと帰るものである。
そうではなく、近代史における船は、目的地に「行く」ための乗り物だった時代だ。スピードは早ければいいし、乗り心地が悪くても我慢して乗っていた時代。「市民の交通手段の航空機」前史としての船文化。
それが私の言う貨客船文化だ。
船に乗り、欧州やアメリカ、上海や台湾、朝鮮に行くのである。空輸がない以上、まあ、それは当たり前の話だ。
ちなみに”貨”客船というのは、貨物と旅客を運んでいた船のことだ。一緒に貨物も運べると便利だし、また日本からアメリカへ行く航路とアメリカから日本に帰る航路では、客の人数や客の裕福さが違う。三等客室が満員の行きと、空席ばかりの帰りでは帰りに貨物を入れて運びたい。
もちろん、三等客室の造りはそれなりのものになってしまう。なってしまってかまわないのだ。ちゃんと乗船の料金も安く設定してるし。それに彼らは旅行を楽しんでいるのではなく、南米やアメリカに移民に行くだけなので。移民先では、差別と労働に身をやつしたという。もちろん、その一言に収まらない様々な群像があったはずだ。「差別と労働に身をやつした棄民たち」と呼び言い切るのは日系人たちに失礼だ。ただ、多くの苦労が共にあっただろう。
一等船客たちはどうだろう。著名人や皇族などが乗っていた。また、彼らに好まれるように礼儀やしきたりなどの技量が磨かれていた。内装は豪奢で、料理は美味かった。音楽が美しかった。善く、美しいということに価値がある世界だった。
一等船客になれなくても、綺麗な船に愛着を持った日本人は多かっただろう。一度くらいあれに載って外国へ行ってみたい、と無邪気に思ったかもしれない。戦前の日本にとって海外とはいかなる場所だっただろう?
また同じ「日本人」でもあった外地人、朝鮮半島や台湾の人びとにとって、日本行きの船とはいかなるものに映っただろう。彼らは第二君が代丸で大阪に行くだろうか、帝国大学へ留学するのだろうか。いずれにせよ、一つの象徴として、船、はその海にあっただろう。
それらの末裔であるふねぶねの一種族は、現在はクルーズ客船と呼ばれている。かわいいものである。あたしはただのきれいな船だもんね、という澄ました顔をして海に浮いている。人間を港で乗せて同じ港へ返すことだけが使命だと思っている。ボイラーでからゆきさんを焼死させた時代などまったくの知らんぷりである。そしてそれは今は良い時代なのだ、ということなのだろう。
あの時代の船の文脈が奪胎された現在において、船から悪臭を払拭された時代において、貨客船を描くこと、をどう考えればいいのか悩んでいる。どう描けばあの時代の船というものを描けるのか悩んでしまう。綺麗な船が「ただの綺麗」な時代に。国家、帝国主義、殖民、海運会社、軍隊、写真花嫁、からゆきさん、トーキー映画、浅間丸……