読んだ観た

  • 引用『歴史の風景』

    私たちは――ローマ人のように――自らの記念碑を後に残した社会も、――多くの農民のように――記念碑を残さなかった社会も、描き出す。私たちは記念碑を持つ社会をその自称する偉大さから解き放つ。私たちは彼らがどのように見られたがっているかということと、実際に彼らがどうであったかということとを混同しないように努める。そして私たちは記念碑を残していない人々を、その結果として他人から、あるいは自分自身から、押しつけられた沈黙から解放するように努める。
     したがって私たちは叙述している人々や社会を、別の時代や場所から持ち込まれた判断の専制から解放しなければならないということになる。

    それではもし歴史の重みが現在と未来にこれほど重くのしかかることがあるとすれば、歴史家の仕事の一部がその重みを解除しようとすることにあることはたしかである。すなわち、たいていの抑圧の形態は構築されたものであるから脱構築されることが可能であるということを示すこと、現在あるものが必ずしも過去にあったとは限らず、したがって未来にあるとも限らないということを示すこと、である。この意味で歴史家は社会批判者でなければならない。

    『歴史の風景』

  • 「ある帰郷」

    『森崎和江コレクション 精神史の旅 3 海峡』収録「ある帰郷」がとても興味深くて好きですね

    鹿児島県最南端の与論島から、台風による飢饉を契機に長崎県の口之津に集団移住した人びとの話

    彼らは1909年の三池港の開発に伴い福岡県の大牟田に移り、三池港の湾岸労働者として、三池鉱山の生産機構の一員となる

  • 二郎の見なかったもの

     堀越二郎の醜い飛行戦艦、下級生を苛める不良の上級生、多くの三等車客、震災の炎と暴力的風景、旧式の校舎、美しい骨を持たない肉豆腐、寝台車に乗れなかった貧民の野宿生活、銀行の取り付けのある不景気、会社のみみっちい礼儀に礼節、新人への洗礼、牛が航空機を運ぶ後進性、航空機を見に来た陸軍軍人、機が本調子でないこと、落下傘で辛くも逃げ出したパイロットの命の無事、既に壊れた1号機の残骸、夜親を待つ少女と子どもと国家の貧しさ、食わせられたはずの天丼とシベリアという善性、本庄の独逸での劣等感、かつて菜緒子でなくお絹の幻影を見たという事実、カストルプの示唆する世界の破裂、新聞に書かれた上海事変、日本が本当に近代国家だったのか、結核で倒れた菜緒子の苦、重役、煩い海軍軍人、愛情ではなくエゴイズムではないかという黒川の指摘、妹の叱咤、重慶爆撃、全体を覆う死と死体と多くの犠牲を見ることからの逃走があり、それは菜緒子が二郎の眼鏡を外して「山に帰る」ところ、美しいところだけ見てもらいたかったことで愈々極まる
     →また1機も帰って来なかったのでありやはりそこには人間の生はないように思える
      →とはいえ二郎は最後の航空機の成功(航空機の技能的にも、国家や軍の期待に応えた面でも)を直視しておらず、遠くで何かの気配を感じてそれを見ている、おそらく菜緒子の死を見つめている

  • ゲ謎感想(?)

    ゲ謎は人間間の帝国-植民地の関係を人間-幽霊族に翻案した秀逸作だったので、俺はえっちな昭和スーツ男を見に行っただけだったはずなのに…なにを見せられているんだ…反植民地主義…血吸いの負の表象としての桜…国家の為に死なないことを肯定されたい元兵士…近親と神主…そしてツケ、ハラ…となった

  • モーリス・パンゲ『自死の日本史』メモ

    十歳で敗戦を迎えた彼らは国粋主義的なしかし力と栄光ある父親の背中を見て今まで育ってきたのだけれど、敗戦を迎え実際に家に帰ってきたのは敗者で、その時代の転換自体には耐えきれたものの、自分たちが国粋主義的、力と栄光ある死んでいった兄もしくは父親の年齢に差し掛かった時になって挫折(「交換価値の支配する砂漠のようなこの世界」)を経験したとき、初めて自分が後を追える理想の存在はない――理想は敗れた――と知る。いや、あるんだけどそれは、理想は(敗戦という屈辱を食わされなかった理想は)悲劇的英雄、死んだ人間たちだけだということを悟ってしまう、というはなし。そして自分もその”理想”を追ってしまう。死んだ人間だけが最後まで美しかった。