• 「ぶら志”る丸」

    • 『戦時輸送船ビジュアルガイド2』を読んでいたら「ぶらじる丸の船長が灰色を嫌っていたので上塗りが先延ばしにされていたという証言がある」と書かれていてそういうとこ…そういうところやぞ……となった
      • ぶらじる丸の船長さん 船が海軍に徴用されてからも平時塗装を貫いていたので海軍にたびたび灰塗装を要請されているのに「本船は客船だから」という理由で突っぱねて、最後には「軍命令」で折れるやつ
      • ぶらじる丸の船長ってぶらじる丸に死に場所を求めてたんじゃないっすかね…という別の船長の証言、なんか悲しいな 例の絵を見ると…
      • ぶらじる丸の船長さんが最期に叫びたかったのは本当に「天皇陛下万歳」だったのだろうか、船長の義務だけで最期まで船上に残ったんだろうか、と時々考える 「ぶらじる丸ともこれでお別れだよ」「航海が終わるたびに船にキスをして感謝をしている」と言っていたという娘さんの言葉が忘れられない
      • 『客船がゆく』の航海が終わるたびにぶらじる丸の船長さんは船に感謝のキスしてた、みたいな証言 印象的
      • ぶら志゛る丸の船長さんは航海が終わるたびにぶら志゛る丸にキスをしていた、という一文を読むたび、貨客船ぶら志゛る丸であり今は特設運送船だった、これから航空母艦になるかもしれなかったぶらじる丸と共に海底へと没した彼に思いをはせるたびに
      • 最期の言葉である「天皇陛下万歳」は、じつはこの時代ではこうでしか現せなかっただけのある種の空虚な言葉なのではなかったか、ほんとうはもっと個人的な言葉があったんじゃないのか、長い長い別れの言葉が心の裡にあったんじゃないか、とあられもない妄想にとらわれる時がある
        • この話は歴史に対する実直な感想であって、創作的に「消費」はしません…
  • 日記 20250413

     なんとなくこのサイトを作ってしまった。いやまえまえからWordpressサイトがもう一つ欲しいと感じていたのは事実だけど……。

     なんというか、本館サイトは見づらいと感じるけど、ではどう弄るか、を明確化できていなかったというか。新しくつくり直すしかないのかなと感じていたので。

     とはいえここは文章置き場にしたいと思う。本館サイトはなるべくはやく整理する。

     文章で「何が描きたいか」「何を伝えたいか」を明確化したい一方、文章で書くならさっさと漫画のネームを切った方が良い、ともわかっている。まあ小説でもエッセイでも絵でも漫画でも、それぞれえがけるものと伝えられるものは違うので。ぜんぶやるしかない。

  • 客船がゆく

    『客船がゆく』面白かったな。読書ノートも作りたい。

  • 潜水艦

    水上の仲間にも潜水艦の仲間にもきょうだいにすらも名前をあまり名乗ってはならない、うっかり自己紹介する癖がついちゃうからね。名前を知られないことを誇らねばならない。艦長の私室をうらやましく思わないこと。沈むのと聞かれたときは潜るのと訂正すること。悠々とベッドに寝ることになれるような潜水艦になってはならない。魚雷と一緒に寝ることに早めになれること。畳の上で死ぬことに憧れてはならない。陸に上がった河童になってはならない。泣いてはならない、海の中では無意味なのだから。行先もその期限も言えない、帰るべき場所、家族のいる人間たちに憧れてはならない。いつまでいなくなってしまうの、そう誰にも聞かれないことに感傷をおぼえてはならない。いつまでいなくならなければならないの、そう誰にも言えないことに悲しみを抱いてはならない。人間に恋してはならない。それは破滅への道である。そして愛したとしても自分の救いのために彼らに刃を向けてはならない。破滅の道を行けばさいごお前の心臓は破れ、海の上に泡となって浮かぶであろう。

  • 引用『歴史の風景』

    私たちは――ローマ人のように――自らの記念碑を後に残した社会も、――多くの農民のように――記念碑を残さなかった社会も、描き出す。私たちは記念碑を持つ社会をその自称する偉大さから解き放つ。私たちは彼らがどのように見られたがっているかということと、実際に彼らがどうであったかということとを混同しないように努める。そして私たちは記念碑を残していない人々を、その結果として他人から、あるいは自分自身から、押しつけられた沈黙から解放するように努める。
     したがって私たちは叙述している人々や社会を、別の時代や場所から持ち込まれた判断の専制から解放しなければならないということになる。

    それではもし歴史の重みが現在と未来にこれほど重くのしかかることがあるとすれば、歴史家の仕事の一部がその重みを解除しようとすることにあることはたしかである。すなわち、たいていの抑圧の形態は構築されたものであるから脱構築されることが可能であるということを示すこと、現在あるものが必ずしも過去にあったとは限らず、したがって未来にあるとも限らないということを示すこと、である。この意味で歴史家は社会批判者でなければならない。

    『歴史の風景』

  • 「ある帰郷」

    『森崎和江コレクション 精神史の旅 3 海峡』収録「ある帰郷」がとても興味深くて好きですね

    鹿児島県最南端の与論島から、台風による飢饉を契機に長崎県の口之津に集団移住した人びとの話

    彼らは1909年の三池港の開発に伴い福岡県の大牟田に移り、三池港の湾岸労働者として、三池鉱山の生産機構の一員となる

  • 個人サイト

    やはり個人サイトにはこれくらいのわかりやすさ・見やすさが必要だ……。

    本館のWordpressサイトは見づらい。どうにかしたいです。

  • 二郎の見なかったもの

     堀越二郎の醜い飛行戦艦、下級生を苛める不良の上級生、多くの三等車客、震災の炎と暴力的風景、旧式の校舎、美しい骨を持たない肉豆腐、寝台車に乗れなかった貧民の野宿生活、銀行の取り付けのある不景気、会社のみみっちい礼儀に礼節、新人への洗礼、牛が航空機を運ぶ後進性、航空機を見に来た陸軍軍人、機が本調子でないこと、落下傘で辛くも逃げ出したパイロットの命の無事、既に壊れた1号機の残骸、夜親を待つ少女と子どもと国家の貧しさ、食わせられたはずの天丼とシベリアという善性、本庄の独逸での劣等感、かつて菜緒子でなくお絹の幻影を見たという事実、カストルプの示唆する世界の破裂、新聞に書かれた上海事変、日本が本当に近代国家だったのか、結核で倒れた菜緒子の苦、重役、煩い海軍軍人、愛情ではなくエゴイズムではないかという黒川の指摘、妹の叱咤、重慶爆撃、全体を覆う死と死体と多くの犠牲を見ることからの逃走があり、それは菜緒子が二郎の眼鏡を外して「山に帰る」ところ、美しいところだけ見てもらいたかったことで愈々極まる
     →また1機も帰って来なかったのでありやはりそこには人間の生はないように思える
      →とはいえ二郎は最後の航空機の成功(航空機の技能的にも、国家や軍の期待に応えた面でも)を直視しておらず、遠くで何かの気配を感じてそれを見ている、おそらく菜緒子の死を見つめている

  • ゲ謎感想(?)

    ゲ謎は人間間の帝国-植民地の関係を人間-幽霊族に翻案した秀逸作だったので、俺はえっちな昭和スーツ男を見に行っただけだったはずなのに…なにを見せられているんだ…反植民地主義…血吸いの負の表象としての桜…国家の為に死なないことを肯定されたい元兵士…近親と神主…そしてツケ、ハラ…となった

  • 好きな手紙

    ①遺書
    ②後年に見つかったけれど経年の汚れで結論が読めない手紙
    ③書いたのに出さなかった手紙
    ④書いたのに出せなかった手紙
    ⑤書いた人の涙で紙が寄れている手紙
    ⑥物語で入れ子構造として使われる手紙
    ⑦「貴方がこの手紙を読んでいる時既に私は死んでいるでしょう」の一文がある手紙